コルネリア・ヘルマンは1996年、ライプツィヒで開催されている「J. S. バッハ国際コンクール」にて最年少19歳で最高位を獲得、これがピアニストとしての最初のキャリアとなり、その後も1999年ザルツブルクの「モーツァルト国際コンクール」での特別賞受賞等、着実に多くの人々から称賛され、認められて演奏家の道を歩んできた。
2005年には、私の古巣であるビクター・エンターテイメントからCDデビューを果たした。プログラムはアンコール・ピースを集めた「ピアノ名曲集」で、翌年にはシューマンの「幻想小曲集」を含むシューマン&ブラームス・プログラムをリリースしている。2007年には5月から7月にかけて、日本各地の主要オーケストラ(NHK響、山形響、九州響、広島響)と共演している。
この頃に、私は当時、昭和女子大学の理事長であった人見楷子さんを通じて、ヘルマンのお母さんと知り合い、ウィーンで何回かお茶をご一緒したりした。当初は、日本での演奏活動の場を拡げて行く上での助言をする程度だったのが、時にはコルネリア本人と食事をすることもあり、日本でのアクティヴィティを私共の会社で引き受けるところまで発展した。
私の専門職はレコード・プロデューサーだから、このところ5年以上レコーディングから離れている彼女に、「録れたいプログラムが見つかったら、いつでも相談には乗れますよ」と伝えた。
2012年は札幌のPMFに招かれ、音楽監督ファビオ・ルイジの指揮で「ペトルーシュカ」を共演するビッグ・チャンスにも恵まれ、その機にレコーディングもしようと提案した。彼女はレコーディングは慎重に、時間を別枠にとって考えていたようで、PMFの前の6月にウィーンから飛んできて、録音の仕事だけをして帰った。
彼女の希望していたプログラムは、J. S. バッハの「フランス組曲」全曲であった。おそらくヘルマンは、久しぶりにレコーディングをするにあたり、自分のデビューであったライプツィヒの「J. S. バッハ国際コンクール」の折に充分に習い、初々しい気持で人前で弾いたバッハに戻りたかったに違いない。
バッハだけで1枚のピアノ・ソロを録音するのは、私にとっては1975年にアンヌ・ケフェレックとパルティータ第5番、第2番、「半音階的幻想曲とフーガ」を録れて以来だ。ケフェレックの場合、ミュンヘン国際音楽コンクールで優勝して最初に録音したのは、シューベルトの「即興曲」と「楽興の時」だった。パリのコンセルバトワールで学んだ彼女は、自分の足りない音楽経験をウィーンの夏期講習に来て、バドゥラ=スコダやデームスに学んだ直後だっただけに、エラートというレーベルでカタログに空きがあったシューベルトをデビュー録音に選んだのだろう。
ヘルマンは1990年代の中頃から、ハンガリーのブダペストまで足を延ばして、草津アカデミーでも数年間、講師をされていたフェレンツ・ラドシュに就いて長く学んでいる。ラドシュ教授は、アンドラーシュ・シフの師である。ヘルマンも、バッハをピアノで弾く方法をたっぷり教わったに違いない。
ラドシュ-シフ-ヘルマンと、世代の違うバッハのピアノによる演奏の伝統を、多くの人に味わってもらいたい。
なお、録音にあたっては、名古屋電気文化会館に大変お世話になった。このホールにある象牙(アイボリー)鍵盤時代のスタインウェイの状態はすばらしく、今回のバッハの録音でも大いに活躍した。深く感謝したい。
Johann Sebastian Bach (1685-1750)
[1]-[6] French Suite No.2 in C Minor BWV813
[7]-[13] French Suite No.5 in G Major BWV816
[14]-[18] French Suite No.1 in D Minor BWV812
[19]-[26] French Suite No.6 in E Major BWV817
Cornelia Herrmann, piano (Steinway & Sons)
Recorded: June 18-20, 2012 / Denki Bunka Kaikan The Concert Hall, Nagoya, Japan